カワゴエひとしの記録

Twitterで同名の方をたくさんフォローした後の心の変化や、日々思いついたことを書いています。

はてなブログに背中を押されて。

こんにちは、カワゴエひとしです。

いま住んでいるのが埼玉県川越市だからカワゴエ、本名がひとし、合わせてカワゴエひとしです。

仕事は少々特殊なことをしてまして、これをカワゴエひとしアカウントのTwitterやこちらのブログで書くと同僚にバレる可能性がめちゃめちゃ高くなるので、書けません。

ですのでTwitterもブログも別アカウントを作って、仕事のことはそちらで書いています。人間は多面的なので、それぞれの面をさらにディープに掘り下げる意味でも、それぞれの面専用アカウントを作るのは人生を深める、とても有意義なことだと思います。

さて、仕事のことを書いている方のアカウントについてですが、マネタイズも考えているので、WordPressでブログを作成しています。

WordPressは自分自身でブログの土台から作れるシステムです。

ドメイン取って、レンタルサーバ申し込んで、WordPress導入して、…と、パソコンにアレルギーのある方には少々高めのハードルだと思うのですが、そこそこ詳しい身としては、自分で全部を構築していくという作業そのものが大変面白く、気がつくと三時間も四時間もいじってます。

人には睡眠、食事、性の三大欲求と別に「コントロール欲」があるということを本で読みました。

文字通り、物事を自分でコントロールしたい、という欲求だそうです。

確かに僕は、誰かから事細かにあれやこれやと指示されるのは嫌でたまりません。

上の役職について下の人間(部下)に指示を出し動かす、ということもこの欲求を満たすという側面がありそうです。

だいたいそのとおりには動いてもらえないので、むしろ余計に不満が溜まるのですが(笑)

上から指示してコントロール欲を満足させつつ、でも相手には期待せず信頼のみするという(こちらはアドラー心理学で学びました)姿勢が大切なのかもですね。

個人的には人の上に立ちたいと思えないので、想像の範疇ですが。

 

はてなブログから「一ヶ月書いてないですよ、そろそろどうですか?」なんてメールをいただいたので、思いつくままつらつらと書いてみました。

書きたくなかったわけじゃなく、むしろ書きたいことがたくさんあるのですが、大好きなアーティストである吉井和哉さんのとある曲の中の歌詞「毎日が慌ただしくて 何のために生きてるのかさえ忘れるね」という感じで、気づいたら四月でした。

でもやっぱり、たまにこうして書くのは自分を振り返るきっかけになっていいですね。
書きながら次から次にいろいろ湧いてきます。

定期的に書こうかな。でもそうしちゃうと「あ、書く日だ、書かなきゃ」となりそうで、それもどうかな。でもそれでいいのかな。今回のはてなブログからのメールみたいに、「そろそろどう?」ってたまに背中を押してくれる人がいたらいいのにな。

そんなことを思いながら、会社に向かう電車の中で書いています。

 

外はだんだんと暖かくなってきました。
こんなめちゃくちゃな文章を最後まで読んでくれた優しいあなたにも、良いことが訪れますように。

 

やる気スイッチがONになりまくる!

こんばんは、カワゴエひとしです。

 

同じ名前の「ひとし」「ヒトシ」さんをTwitterでたくさんフォローさせていただいたのが今年の2/10。

そして昨日3/3、ローマ字で「hitoshi」、漢字で「均」「仁」「等」などで読みが「ひとし」の方を検索し、また100人くらいフォローさせていただきました。

 

繰り返しになりますが、本当にいろいろな「ひとし」さんがいらっしゃいます。

 

会社経営者、哲学者、プログラマー、アイドルオタク、楽器を直せる方、楽器奏者、写真家、俳優、副業で稼いでいる方、「倫」と書いて「ひとし」と読む珍しい漢字の方などなどなど。

 

皆さんすごい方ばかりです。

 

そういったすごい方を見ると、劣等感の強い自分は、以前であれば、落ち込むことが多かったように思います。

実際それでしばらくTwitterを見ることを止めていた時期もありました。

(それでもまた見たくなるTwitterの中毒性。恐ろしいですね)

 

ですが、今回こうして自分と同じ名前の方を多くフォローすることで感じたのは「他の『ひとし』さんがこれだけがんばってる、他の『ひとし』さんはこれだけがんばれている、同じ『ひとし』である自分ががんばれないはずはない」という、やる気スイッチがONになりまくる音でした。

改めて、全国の「ひとし」さん、ありがとうございます。

 

で、よっしゃ、やる気スイッチをもっとバカバカONにするために、今度は苗字で同じ読みの方をフォローだ!と思いましたが、それやっちゃうと完全にフルネームがバレるわと思い直しまして、こちらはやめました(笑)

切ない親子関係。

こんにちは、カワゴエひとしです。

 

さっそくですが、義父(妻の父)に癌が見つかりました。それも、少々厳しい感じの癌です。

ご両親に蝶よ花よと大切にされてきた妻の落ち込みようは、見ていて本当につらいです。

 

翻って私は、親との仲は最悪です。

私が小学生のときに父の女性問題で両親が離婚し、私は母に育てられました。

(父はその後、私が高校生のときに肺癌で死んだと後で母から聞きました)

女手ひとつで大学まで行かせてくれたことには感謝しています、が、その反面、母は母で父のことを悪く言えないくらいに複数の男性と楽しいことをしてました。

さらに浪費家で(これは父もそうでしたが)、お金の面で私とよく衝突しました。

 

その結果、私は家を飛び出し、次に会ったのは10年後。それも約束して会ったのではなく本当に偶然。10年も開けていれば穏やかに話を…なんて甘かったですね、10年前の状態とほとんど変わらず、言い争いをして、それからまた5年近く会っていません。

 

ここで私が思うのは、この母が、もし病気で死ぬと知ったら、ということです。

正直、どうでもいいです、が素直な感想です。

冷たい人間だと思われた方もいるかもしれません。

私も客観的に見れば、この親子関係は切ないな、と思います。

だからこそ、ご両親ととにかく仲良しな妻のことが良いなと思えたのかもしれません。

 

しかし、酷なようですが、現実、いずれ親との別れは必ず来ます。

このことについて私は、親に対してどうでもいいと思えているのってありがたいことだなと、涙で目を腫らしている妻を見て、思うのです。

 

私の母が私にしてくれたことの中で、最も大きな、私への贈り物。

それが「私(母)が死んでもどうでもいいという気持ち」です。

もちろん、そんなこと考えて母は私に接してこなかったと思いますし、生まれたときは喜んでくれたと思いますし、今でも私の幸せをもしかしたら願ってくれてると思いますけど、そういった想像と共に、冷静に冷酷に母を見ている私がいます。

そして同時に、上にも書いたのですが、この親子関係は切ないな、と思ってもいます。

 

書き上げて思いましたが、重いなこの日記(笑)後で消すかもしれません。

封印が少しずつ解かれてきた感じ。

こんにちは、カワゴエひとしです。

同じ「ひとし」さんをTwitterでたくさんフォローさせていただいてからの気持ちの変化を記録しています。

350人以上の方を一気にフォローしてから10日以上が経過。3日にお一人くらいのペースでフォローバックもいただきます。

そんな中、起きてきた気持ちの変化として、もう少し丁寧に生きよう、と自然と思うようになりました。

 僕はもともと自己肯定感が低めの人間で、ちょっとしたことでも切れやすく、また「こんな自分なんてどうでもいい」という気持ちから、自分のことを雑に扱いがちでした。

それでもいろいろ心理学など勉強して昔よりは上がってきていますが、何と言いますか、それらは「物事をこう受け止めるようにすると自己肯定感が上がるのだな」という技術的な方法で、今回の「ひとし」さんたくさんフォローは、大変感覚的な自己肯定感アップ法のように思えています。

技術的な方法はもちろんそれはそれで有効なのですが、それを習慣化して自身に染み込ませるのに少々時間がかかります。

ですが今回のような感覚的な方法は、その染み込みが早く思えます。

いま書きながら思ったのですが、前者は外部からのアプローチであることに対して、後者は内部から湧いてきたもののように思えます。

自己肯定感の低さによって自分の心の奥底に封印されていた、そういった「もっと良く生きるために必要な考え方」が、自然と少しずつ解かれてきた、と言ってもいいかもしれません。

 

それにしても、書きながらいろいろ湧いてくるのですが、文章力の限界か、うまくまとめられません…(苦笑)

でも、こういった自身の心を見つめて必死に記録してみるというのは、必ず自分自身に良いことをもたらしてくれる、と、これも何となくなのですが(笑)そう思えているので、もうしばらく続けていこうと思っています。

そもそも「ストレス」って、何だ?

こんにちは、カワゴエひとしです。

今日はストレスの溜まる出来事がありました。

原因は上司からの「あの件まだみたいだけど、どうなってる?」というLINEです。

僕自身もちょっと気にしていた案件で、やらねばと思いつつ、でも面倒だなぁ、休日なのになぁ、ストレス溜まるなぁ、と思いました。

 

それからふと、そもそも「ストレス」って、何だ?と思ったのです。

 

イライラすると溜まるもの?でも例えばそのすぐ後に良いことがあったら、それが続いている間はイライラしたことを忘れます。

もしイライラカリカリするのがストレスの素で、それで寿命が縮むというのであれば、テレビで見たことのある、壊れた家具や家電をバットで殴りながら叫ぶというストレス発散サービスは、その殴っている最中はイライラカリカリの大爆発中で、むしろ寿命が縮むのではないか?

(ついでに付け加えると、僕はあの手のサービスが好きではありません。殴られているそれらの物にも、作った人の多くの思いがあるからです)

そもそも「ストレス発散サービス」自体が、ストレスは溜まるものという前提の言葉だ。

そこまで考えて思い出したのは、メタボの基準の決まり方についてです。
アメリカの保険会社が、メタボの基準(=腹囲)が広がるほど保険に加入する人が増えると考え、基準を広めに定めた、という説を聞いたことがあります。

ストレスという言葉もそうなのではないか。

最初にストレスという言葉を考えた人はビジネスにつなごうとは思っていなかったかもしれませんが、現在では実際にストレスという言葉は多くのビジネスとつながりがあります。

それで儲けようと思いついた人の手のひらで踊らされ、ストレス発散という、実際には存在しないものをなくすと謳うサービスにお金を払っていると思うと「ストレスが溜まる」気がしませんか?(笑)

 

と、ここまで書いておいてなんですが、正直、ストレスが溜まるものであろうがそうでなかろうが、どうでもいいのです。

ストレスという言葉の奴隷になるのをやめること、そして、ストレスという言葉で商売している人の手のひらから降りること、そこに考えが至ることが大事。

 

あーこの仕事ストレス溜まる~、でもこの仕事が終わったらこのストレス全部消えるからいっか~。

人生、そんな感じでいいんじゃないですかね。

これは人類愛の入門編なのではないだろうか。

こんにちは、カワゴエひとしです。

埼玉県川越市に住んでいて、本名が「ひとし」なので、合わせてカワゴエひとしです。

前の日記で、2/10にTwitterで「ひとし」さんをたくさんフォローしたら、自分の心に不思議な変化があった、というお話しをさせていただきました。

あれから約一週間。

この不思議な感覚を言語化しようといろいろ頭の中でこねくり回した結果、「これは人類愛の入門編なのではないだろうか」という考えにいたりました。

急にスピリチュアルな匂いがして、もしかしたら顔を背ける方もいるかもしれませんが、まぁちょっと聞いていただければと思います。

人類愛。

Google検索すると「特定の人でなく、だれでも愛すること。人類への愛。」という結果が出てきます。

世の中には真にそのように思える、すばらしい人がいるのでしょう。

しかし僕は違いました。詳しくは省きますが、貧乏で少々歪んだ家庭に育ち、人類愛どころか自分への愛も少なめの人でした。

そんな僕でも、その人の名前と、ある程度の情報が入ってくれば、その人に対して情を持ちます。

そして、ここは皆さんも共感してくださると思うのですが、例えば同じ趣味や同じ地域・学校出身など、共通の情報があれば初対面でも仲良くなりやすいし、ましてや同じ名前だった場合、他のどの共通情報よりもぐっと親近感を覚えます。

今回行った「ひとし」さん大量フォローは、その現象を、僕に対して結構強めに起こしてくれました。

全員のお名前に「ひとし」なり「ヒトシ」が入っていて、そのすべての方の生活の一端をTwitterで見ることができる。

まず同じ名前ということでぐっと親近感が湧きますし、その中でもし同じような趣味などを持っている方がいたら、その方との親近感はさらに強化されます。

さらに、僕とはまったく異なる生活スタイルや、僕の中で「それはちょっと…」という趣味であっても、「でも同じ『ひとし』が好んでいるものなんだから、それはそれでそこに良いと思えることがあるんだろう」と、とても好意的に解釈します。

誤解を恐れず書くと、すべての「ひとし」「ヒトシ」さんが何だか愛おしいのです。

僕のようなまず自分を愛することから始めないといけない人に、いきなり「人類愛」はあまりに巨大すぎます。

だからその前に、人類愛の入門編である「自分と同じ名前の人を知り、その人の情報を得て、愛してみる」、つまり僕でいえば「ひとし愛」なのではないか、と。

その意味で、Twitterというのは、人類愛を感覚で理解するために良いツールなのではないかと思いました。

(といいますか、正直SNSTwitter以外やっていないので、他のSNSでも同様の効果があるのかもしれませんが…)

そうして人類愛の入門編に足を踏み入れた僕は、以前よりも人類愛レベルが上がり、その結果、会社の同僚にもちょっと優しく接するようになりました。

もしここまで読んで、僕と同じことをしようと考えた方がもしいらしたら、本名が良いと思います。

もしどうしても本名が嫌であれば、自分にとってとても愛着のある名前が良いかと思います。

と、約一週間考えて出た結論が、ここまでのとおりです。他にも小さいところでいくつか自分の行動に変化が出てきていますので、また次回書きたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

何となく始めたことが、思いがけない変化をもたらした。

こんにちは、カワゴエひとしです。

「ひとし」は本名から取っています。

2021年2月10日。いつものとおりTwitterをぼんやり見ていると、ふと、自分の本名と同じ人にはどんな人がいるのだろうと思い、「ひとし」で検索しました。

そうすると、好きなアイドルを追っかけている「ひとし」さんや、会社を経営している「ひとし」さん、俳優の卵の「ひとし」さん、ギャンブラーの「ひとし」さんなど、当然ですがいろいろな「ひとし」さんがたくさん表示されました。

今の生き方に何かしら刺激を加えたいと思っていた僕は、同じ名前だけどまったく異なる価値観を持っている他の「ひとし」さんをもっと知りたいと、まず、そのときは自分のTwitter名に「ひとし」が入っていなかったので「カワゴエひとし」と改名、次いでプロフィール固定表示機能を使ってその旨を掲載し、「ひとし」「ヒトシ」でユーザー検索して、約350人の方を一気にフォローさせていただきました。

その後すぐにさまざまな反応をいただいたのですが、僕が驚いたのは、「面白いことをされますね」という好意的なご意見が多かったことでした。

そんな感じで、スタートは「何となく」という感じでした。

しかし、その後僕は、心に何かしらの変化を覚えます。

Twitterのタイムラインがいろいろな方のツイートで埋まっている、それはこれまでと同じなのですが、今はそのツイート主の名前がほぼ「ひとし」「ヒトシ」さんで、その影響か、一つひとつのツイートがこれまで以上にしっかり意識へと飛び込んでくる感じになりました。

これまで以上にそれぞれのツイートが大事に見えてきた、というのでしょうか。とにかく不思議な感覚です。

この経験の後、僕は、身の回りの人に対して、ちょっと優しくなっている自分を発見しました。

このあたり、まだ考えがまとまっていないことと、夜遅くなってきたので、続きはまた後日書きます。